駅伝 四つん這いリレーの余波

監督は棄権を申し出たのに、コース上の審判員は本人の続行意思を聞いてストップをちゅうちょし、結果的にチーム側の2度にわたる棄権要請は実現せずレースは続いた…これ、大会側が無責任すぎるだろう。
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四つんばいリレー飯田が手術、監督「美談ではない」

[2018年10月25日4時45分]
日刊スポーツ

全日本実業団対抗女子駅伝予選会(福岡県)で、倒れて走れなくなり、四つんばいになってたすきを渡した岩谷産業の2区・飯田怜(19)が骨折していた右すねの手術を受けることが24日、分かった。
21日のレース後に福岡県内の病院に入院したが、近日中に大阪府内の病院に移って修復手術を受ける。このアクシデントを「美談」とする風潮について、同チームの広瀬永和監督(53)は「これは美談ではない」と指摘した。
19歳のランナーが、近日中に手術を受けることが判明した。岩谷産業の広瀬監督は、飯田の状態について「骨が折れた状態なので、修復する手術をします」と説明した。飯田は右脛骨(けいこつ)骨折で全治3~4カ月と診断されて、福岡県内で入院。レースから3日後のこの日までに手術が決まり、近日中にチームがある関西の病院で移る。
アクシデントは21日だった。飯田は残り200メートルで走れなくなり、四つんばいで進んだ。映像を見た広瀬監督は「やめてくれ」と棄権を申し出たが、コース上の審判員は本人の続行意思を聞いてストップをちゅうちょ。再度、同監督に意思を確認した。答えは同じだったが、タイムラグがあって飯田は両膝をすりむきながらあと約15メートルに到達。審判員は見送ってしまった。
広瀬監督はこの日「審判長が止めるとか、医者が止めるとか(基準が)大会によって、ではなく、誰が止める権限を持つのかはっきりしてもらいたい。統一のルールを決めないとダメだと思う」。
棄権はコース上の審判員に“差し戻された”形で、結果的にチーム側の2度にわたる棄権要請は実現せずレースは続いた。同監督は「(チームの申し出が通らず)大会側が止める権限を持つなら大会側でもいい。ただ(続行による結果への)責任を持ってください」と指摘した。
飯田のアクシデントは「感動した」「止めるべき」と賛否両論を巻き起こしている。当事者の広瀬監督は「これは美談じゃない。200メートルも膝を引きずって今後どうなるか。影響があるのか、本当に復帰できるのか。今の時点で何ともいえない。それを『頑張った』とか『美談』とかいうのは…。アスリートファーストを考えると、ちょっと違うのではないでしょうか?」と違和感を口にした。


…テレビ映像を見ていてこれは心底驚いたのだが、解説者だかアナウンサーだかが、ずっと「頑張れ!」「次の走者は泣いています」と興奮して実況やってるのね。いや、そこは「なぜ止めないんだ?」でしょ?と凄い違和感だった。歩く事も出来ない状態って事は、命の危険すらあると判断すべきでしょ?

…大会の審判員の行動にも呆れた。あれ、なぜ止めないんですか?むしろ励ますような事やってませんでした?あの場合、選手は正常な判断が出来ない危険な状態なのですから責任をもって止めるべきでしょう。止めるべき責任を負い、続行させるならその結果にも責任を持つべき人間が情緒を優先した無責任。

同じ大会で、おそらくは脱水症状に陥ったと思われる選手が、ふらふらになって折り返し地点もわからなくなって逆走し、結局は草むらに倒れこむ事になったのもね、あれも問題でしょう。倒れ込んだ先に何があるかによっては命さえ失う事になる。そういう事から選手を守る事をなぜ優先出来ないのか?

…足を骨折した状態で動くというのは、怪我の状態をより悪化させる事になるのは明白。骨折した時点で動かないように適切に処置するべきを、200メートルも這うという動作によって、その怪我の状態が深刻化した可能性も十分にあります。選手生命がこれで絶たれてしまったら、誰が責任取るのですか?

普通はそう思うよね。でも世の中には靭帯がなくなっても試合に出てジャンプしたりステップ踏んだりして、挙句の果てに表彰台にズダン乗りしちゃうようなスポーツ選手もいるんだよね。不思議だわ。

…競技中の選手に触れるのは禁じられているとの指摘がありますが、第11条の3に「正常な走行ができなくなった競技者を一時的に介護するために、競技者の体に触れるのは助力とはみなさない。」とありますので。<資料>日本陸上競技連盟駅伝競走規準(2015年3月修改正)

…いかなる場合も選手に触れる事を禁じているわけではないのに、ここが広く誤解されているようです。また、第5条にある「競技者が走行不能となった場合、即ち、歩いたり、立ち止まったり、倒れた状態になったとき」から考えて、11条で言う「正常な走行が出来ない」状態には四つん這いが含まれます。

これがまかり通ると監督の存在意義が揺らぎまくりますね。スポーツは未成年選手も多いわけで、監督を信じてついていく選手、我が子を預ける親たちにとって、その日その場に居合わせただけの審判に監督のジャッジを覆させる権限は絶対にない。

持病持ちや過去の怪我などの経歴等も状況によって大きく関わると思いますし、本人はその試合に集中できるよう、監督・コーチ・各スタッフがサポートしている。そのトップの監督が棄権というなら棄権ですよね。本人はまさに試合のみ見ているから死ぬような状況でも「やれます」っていうし。

かなり昔から駅伝ってとても危険な協議だと思ってました。マラソンの棄権は自分一人の責任ですが、駅伝は団体競技で誰かにアクシデントが起きると全ての人に迷惑をかけて、それが一生のトラウマになる可能性が有る訳ですよね。棄権させるルールをちゃんとしておかないと同じことが起こると思います。。

ボクシングでセコンドの要請をレフリーが無視したら命に関わる大問題
こんな事は有ってはならない美談なんて論外

「審判員は選手の意思を尊重して心を鬼にして止めなかったんでしょうね」なんて言ってる奴がいてたけど、止めない方がよっぽど鬼だって。

大会運営の脳みそが空っぽ過ぎて可哀想になってくるな。一番可哀想なのは選手だが。

テレビが止めに入らないでカメラ回してる時点で、止める気が無いのは、美談を作ろうとしていたのは誰か明白。下は命令を聞くしかないだろうが、上は別。本当にマスメディアは人でなしが跋扈する世界になってしまったと感じる。

ほんとそうですね!!! 歩くことも出来ないとなると命の危険すらあります(自分としては)ので、大会側の責任感がないということになりますね。(はっきり言いすぎました、申し訳ございません)

気持ちは分かりますが、私が審判員だとしても膝をズタズタにして鬼気迫る四つん這いで命懸けでタスキを繋ごうとする選手を止める事は出来なかったと思います。
あれは止められないよなあ

それを止めれてこそ「審判員」としてその場にいる資格があるのではないでしょうか?ファンとして「止められない」と感じるのは普通の感覚でしょうし、そこに「責任」はないでしょうが、「審判員だったとしたら」許されることでしょうか?

仰る通り。正論です。ルールに則って裁定を下し、私情を切り捨てられなければ審判員の資格はないのでしょう。でも、あと少しでタスキが繋がる、選手本人も命懸けで進む…うーんやっぱり私は向いてないな笑応援しちゃいますよ。

「私は審判には向いてない」それでいいのではないでしょうか?「私が審判ならできない」というのはそうしなかった審判の擁護になってしまうので、「そうしなければ」と私情を切って行動する審判の足枷になってしまうのではないかと心配してしまうんです。それが選手の不幸につながると思うから。

実際、当該選手は手術するほどの重症だった訳で、感情的に棄権を避けた審判員の責任は大きいと言わざると言えません。


駅伝「四つんばい」問題はなぜ起きたか 宗茂氏の危惧「たすきは重い、けど軽い」

10/30(火) 12:29配信

福岡県宗像市を発着点として10月21日に開催された全日本実業団対抗女子駅伝の予選会で、レース中に脚を故障した選手が四つんばいで進んだ一件は、今後の駅伝の大会運営に問題点を突きつけた。大学、実業団のランナーが主力の大半を占める日本長距離界において、駅伝が東京五輪の選手強化の軸の一つであることに変わりはない。賛否の議論が巻き起こったこの一件を考える。

【写真】93年の九州一周駅伝4日目、リタイアし道路に座り込み次走者に交代する宮崎・森下広一

 アクシデントが起こったのは2区(3.6キロ)だった。岩谷産業大阪市)の選手が終盤に転倒。選手は立てなくなり、残り約200メートルの距離を四つんばいで進んだ。

 主催する日本実業団陸上競技連合などによると、監督控室で中継を見ていた広瀬永和監督からは棄権させるとの要請があったという。だが、本人が続行の意思を示したため、審判は最後まで続けさせた。選手はたすきをつないだ後の診断で右すね骨折の大けがを負っていたことが分かった。

 今回は監督が訴えたとはいえ、本人が棄権を決断しにくい事情もある。日本発祥の駅伝は大会ごとにルールが異なっており、棄権した場合は今大会や箱根駅伝のように総合記録が参考扱いとなることが多い。会社や学校の看板を背負うだけに選手の重圧は大きい。

 旭化成元監督の宗茂氏は自身のツイッターで、九州一周駅伝(2013年終了)の「棄権した場合は区間最下位の記録に5分足したタイムが記録となる」という規定を取り上げ、「これが選手を守る最善のように思います。距離の短い女子駅伝なら、2分プラス程度でよいのではないでしょうか」とツイート。西日本スポーツの取材に対し「『棄権になるから』という理由で判断が鈍ってしまうより、生き残る可能性を残しておけば、早い段階で決断できる。審判も答えを出しやすい」と話した。

 各県対抗で10日間にわたって競われていた九州一周駅伝の規定は1993年の第42回大会の一件を機に改正された。宗氏が総監督を務めた宮崎県チームで、前年のバルセロナ五輪男子マラソンで銀メダルを獲得した森下広一氏(現トヨタ自動車九州監督)がレース中に脚を負傷。当時の規定により、次の走者が走れなくなった地点でたすきを受け取り、残りの距離と本来の区間を完走した。これが発端となり、2年後、より“選手ファースト”の規定に変わった。

 11月3日には福岡県で男子の九州実業団毎日駅伝が開催される。運営協力する福岡陸上競技協会の八木雅夫専務理事は「医師を呼んで判断を仰ぐことを徹底する」と対策案を示した。日本マラソンの強化の一端を担ってきた駅伝は変わるのか。注目が集まる。

【取材後記】
 取材の中で宗氏から聞いた「たすきは重い。けど軽い」という言葉が心に響いた。日本発祥の駅伝は「長距離走者の育成」という目的を持って発展した。宗氏はその意義を認めた上で、ツイッターで「駅伝は必要ですが、駅伝でつぶれてはダメ」とも発信している。

 日本で最初に五輪に出場したマラソンランナーの金栗四三氏は「日本の長距離、マラソンを強くしたい」と願って箱根駅伝九州一周駅伝の創設に尽力した。チームを組んでリレー形式で競い合う方法は、責任感や競争意識を持つことで、質の高い練習につながるという考えからだ。五輪銀メダリストの森下氏も「『次につなぐ』という責任感を感じることで(自分自身を)追い込むことができる」と話した。

 正月の箱根駅伝はテレビ中継の効果もあって爆発的な人気を誇り、競技人口の拡大にもつながった。ただ、注目度の高さや選手が抱く責任感がレース中の選手に心理的な重圧をかけ、無理を強い、危険を招くことも多い。

 今回は監督が棄権を訴えたにもかかわらず、審判は選手の意思を優先して判断が遅れた。宗氏が指摘したように、そうせざるを得ない「空気」も問題だ。駅伝の本来の目的は何だったのか。東京五輪を目前に控えた今だからこそ、原点に立ち返る大会運営やルールづくりを急ぐべきだ。