スポーツを支配する広告代理店とメディア

>5月25日(金)「くりぃむしちゅーの掘れば掘るほどすごい人」
羽生選手の再現ドラマがあるけど予告を見たら何かおかしい 
NHK杯で捻挫したあとギッチギチに靴紐結んでたのに再現ドラマではギプス姿 
さすがに捻挫で靴紐結んでるのはマズイと思った? 
ドラマと現実どれだけ違うかちょっと楽しみでもある

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金メダル獲得の裏にあった情報戦略 メディアの「感動ドラマ作りたい病」
(VICTORY)
 「靭帯損傷」という重苦しい活字は日本中に深刻な衝撃を与えた。普段使っている
「捻挫」という響きならばこれほど重い空気を共有しただろうか。

「チーム羽生結弦」は、メディアにも完勝した。金メダル獲得の裏にあった情報戦略

2/26(月) 20:30配信 VICTORY   

平昌オリンピックは日本との時差がないこともあり、生中継された競技が多い大会となりました。メダル獲得やそれに絡む選手が多かったことも、各メディアの報道量を増加させました。特に連日報道されたのが、羽生結弦選手の金メダル。ケガからの復帰、感動の金メダルは「フィクションを超えたノンフィクション」「マンガでも出来すぎでボツになる」と話題になりました。
事実、ケガによるブランクを克服して金メダルを掴んだ羽生選手ですが、その勝利の陰にはチーム羽生の情報戦略がありました。チーム羽生の情報戦略、オリンピック報道のあり方について作家・スポーツライターの小林信也氏に寄稿いただきました。(文=小林信也)

“情報戦略”でも圧勝したチーム羽生

羽生結弦、二個目の金メダルは、自分とライバルに勝っただけでなく、メディア、組織、ビジネス、人心、それらを見事にコントロールし、自らの支配下に収めての快勝だった。
 
インターネットやSNSの普及で、情報を隠したり、意図的に操作するのは難しいと思われる現代において、羽生結弦とその陣営(チーム羽生結弦)は、ほぼ完璧にそれをやってのけた。もちろん、羽生の実力と実績が前提にあるのは言うまでもない。ソチ五輪金メダル、日本だけでなく海外での人気、IOCにとっても巨大化・怪物化した五輪ビジネス(イベント)最大の主役のひとりである羽生を失うわけにいかない事情……。それらを冷静に分析・把握し効果的に活用。描き上げた全体構想とシナリオによって劇的な二連覇を手繰り寄せた……ごく当たり前に、今回の連覇達成を報道風に表現すれば、次のようになるだろう。
 
すべては昨年10月、大会前の公式練習で右足首靭帯損傷の大ケガを負ったところから始まる。
ケガで羽生結弦のオリンピック連覇に黄信号、いや赤信号が灯った。ところが、羽生はそこから奇跡的とも言える復活を果たし、ぶっつけ本番にもかかわらず、ショートプログラムで素晴らしい演技を展開。出来栄え点の減点がない完璧な演技でトップに立った。
フリーでは後半ややジャンプの着氷が乱れたものの、執念の粘り強さで耐え、見事に二連覇を飾った。会場は再び展開された羽生結弦劇場に酔い、興奮に包まれた。そしてもちろん、感動の演技を終えた羽生結弦にスタンドからはプーさんシャワーが浴びせられた。白いリンクが、瞬く間に黄色に染まった。
 
この原稿をもし雑誌かネットメディアに送ったとして、撥ね返される可能性はあまりないだろう。冷静に読めば「誇張した表現」が、それほど咎められない現実がスポーツ報道にはある。
 
実際、同じような原稿が直後に多くのメディアで発信された。これは、メディアが報じたものだが、同時に「羽生陣営の描いたストーリー」だとも感じる。羽生結弦、そしてチーム羽生は、きっちり滑りさえすれば金メダルを手にする勝算が十分にあった。それくらい羽生の実力は群を抜いていた。メディアは悲観的な観測を出し続けるだろう。しかし、それをひっくり返すことで世間は感動と興奮で最大限の賛辞を送ってくれる。そんなシナリオを描きながら孤独な3ヵ月を粘り強く重ねた。
 

アスリートの生理とはほど遠い、メディアの「感動ドラマ作りたい病」

上の文章を冷静に反証してみよう。
 
ケガで羽生の連覇に黄信号が灯った。そう報じられて、日本中が「羽生君大丈夫!?  きっと深刻なケガに違いない!」という空気に染まった。
 
「靭帯損傷」という重苦しい活字は、日本中に深刻な衝撃を与えた。普段使っている「捻挫」という響きならば、これほど重い空気を共有しただろうか。もう少し補足すれば、羽生陣営が言ったわけでもないのに、メディアや世間が先に、オリンピックは大丈夫か!無理ではないか?という臆測を定着させている
 
メディアには、感動ドラマを作りたい癖を持っている。あるメディアは、「骨にも炎症のある重症」と形容した。深刻な方が、復活した時のドラマ性も深まるという、私たちメディア人にありがちな習性。こうした、周囲の自主的な盛り上げも功を奏して、羽生結弦は、“奇跡的に静かな3ヵ月“を過ごすことができた。
 
ケガはもちろん歓迎すべきことではない。だが、ケガをどうプラスに転じ、選手の力にするかは、勝利を求めるアスリートやチームにとって、ある意味ごく当然の備えだ。ケガへの対応力が選手の成長の重要な基本要素とも言える。
 
ケガをした時点で、オーサ-コーチを中心にいかにケガを最大限プラスに活用するか、ポジティブに捉える姿勢に転じたことが、羽生結弦勝利の大きな転換点だっただろう。
 
羽生陣営にとって、ケガをしたとき時点で厄介だったのは、12月の全日本選手権の存在だったろう。平昌五輪の最終選考会と規定されたこの大会を欠場すれば、五輪への道が断たれる心配がある。だが、羽生結弦は特別な存在だった。それまでの実績で3つのうちのひとつの切符を、戦わずして羽生に渡すことに反対する声はほぼ一切なかった。IOCもおそらく、それを歓迎しただろう。
 
いま、そして今後オリンピックで大きな課題になるのは、「主役たちの不在」だ。これだけ巨額のお金が動くビッグイベントとなったオリンピックは、「平和の祭典」である以上に「興行ビジネス」そのものとなった。もし、主役になるべき選手たちが、国の最終選考会で思わぬ敗北を喫したり、ケガで出場が叶わなかった場合、イベントは華を失い、目玉をなくす。それを回避するためにも、出場資格を「世界ランキング上位者」に設定する競技が増えている。
 
今後は、主催者推薦での出場も検討されるだろう。こうした流れの中で、ケガによる全日本選手権欠場が決して、羽生から平昌オリンピックを奪わないことを、チーム羽生は事前に想定できただろう。言い方を換えれば、いまのオリンピック・ムーブメントは、全日本選手権に出場しないくらいの理由で、羽生を平昌五輪から追い出すことをIOCが承諾するような空気ではない。
 
不安ばかりがふくらむ世間の空気の中で醸成された〈美しき誤解〉と、羽生結弦に対する好意的な空気は、むしろ〈追い風〉だったようにも思われる。


メディアの常識で測れない絶対王者羽生結弦

五輪連覇を目指す羽生結弦が、もしケガをしなければ、このように静かな3カ月を過ごせただろうか。
 
「苦しいリハビリの日々」と周囲の誰もが思い込んでいる。だが、一部を除いて大半の報道陣が取材を自粛し、接触を図らなかった。そんな快適な環境を、他の方法で獲得できただろうか。
 
ブランク、3ヵ月ぶり、「2ヵ月氷に乗れなかった」といった状況やコメントのすべてが、メディアやファンの中では〈羽生の苦しさ〉を表現し増幅する材料となった。しかし、一度乗れるようになった自転車は、3ヵ月乗らなくても、乗れない過去には戻らない。
 
「僕はオリンピックを知っている」
 
日本中を驚かせた羽生結弦の大会前のコメントも、メディアが羽生を「依然として傷ついた白鳥」のように扱うからこそインパクトが大きかった。しかし、羽生結弦はケガのブランク、調整不安、実戦不足、といったメディアの常識で測れるようなアスリートではなかった。
 
氷に上がる準備ができて、五輪の舞台に立つ以上、羽生結弦には金メダルを首にかける以外のストーリーは受け入れられないものに違いなかった。3ヵ月のブランクを、世間ほど羽生は恐れていなかった。
 
スポーツは単に力や速さ、技を競うのではなく、そういう全体プロデュース、メディアや組織も味方につける戦略性も重要な時代に入ったことを平昌五輪で羽生結弦は教えてくれた。
 
<了>


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IOC


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キムヨナ 怪しい得点

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現在わが国での大型スポーツイベントは、全て電通の巨大利権となっている。
巨額の放映権料やスポンサー料が発生するスポーツイベントを独占出来るということは、それだけでもメディアに対し強力な発言権を持つということだ。
(「電通大利権」本間龍)

日テレ スッキリ
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フィギュア城田憲子:スケート連盟の「女帝」が真央の金を危うくする
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カネを生まないスポーツを排除する広告業界の闇

小林信也(作家、スポーツライター
https://ironna.jp/article/3393?p=1

 日韓共催となった2002年のW杯サッカー招致決定の日を覚えているだろうか? それは1996年の6月1日だった。
 
 あのとき事前の報道では「日本有利」「日本開催は決定的」との空気が濃厚だった。1993年にJリーグが誕生し、空前のサッカー・ブームを巻き起こし、W杯サッカーへの注目と熱狂も俄然盛り上がる中で、「日本開催」は日本中の願いのようになっていた。前年に、立候補予定だったメキシコが辞退し、「日本に先を越されてはならない」とばかり名乗りを上げた韓国と日本との一騎討ちとなっていた。

 ところが、決定直前になって、意外な情報が伝えられた。私もちょうどTBSラジオのニュースワイド番組に出演するため、TBSのスタジオにいた。もたらされた情報は、「どうやら日韓共催に決まりそうだ」という、思いがけない展開だった。「日韓共催」のアイデアは一部にあるにはあったが、ほとんどのメディアが真剣に取り上げていなかったし日本人の大半が選択肢として認識していなかった。FIFAの理事会で決定されるのは、「日本か、韓国か」であって、まさか「共催」とは誰もが予想しなかった。

当時のアヴェランジェ会長が一貫して日本開催を支持していた事実もあって、日本が有利に招致活動を展開していたのは間違いない。問題は、韓国による巻き返しだった。要約すれば、「日本対韓国」の図式では勝ち目がないと悟った韓国はしきりに政治的な動きとロビー活動を展開。アヴェランジェ会長との派閥争いが激化していたUEFA欧州サッカー連盟)のヨハンソン会長(FIFA副会長当時)と欧州の理事たちを懐柔し、「日韓共催」の票を着実に積み重ねた。

 決定前日になって自分の立場(日本開催支持)が危うくなったと察したアヴェランジェ会長が、理事会で自ら「日韓共催を提案し、満場一致で決まる」という、日本にとっては青天の霹靂ともいえる出来事が起こった。

 それまでの日本の関係者たちは、ロビー活動などの裏の動きにはさほど熱心ではなく、「アヴェランジェ会長が日本を支持しているから大丈夫」と楽観していた。世界のスポーツ界はそんなのんびりした了解では動かないと日本が体験した大きな分岐点となった。

それ以前にも、1996年の五輪招致で圧倒的に優勢と言われた名古屋が敗れた相手がソウルだった。

 その後も、大阪が2008年の五輪招致に敗れるなど、国際舞台における日本のスポーツ政治力の不足は深刻な課題と認識されるようになった。余談だが、大阪が北京に2008年開催地の座を奪われた後、「大阪に投票したのに残念だ」というメッセージが、得票数を上回る数で届いたと言われている
 誰かは嘘をついたわけだし、嘘をついてでもメッセージを送る必要があったと推測することもできる。

 そのような苦い体験を重ねて、日本も裏側での活動に熱を入れ始めたのは想像に難くない。元々ロビー活動に長けている韓国と対照的に、日本はそのような活動が苦手で、経験を重ねたスペシャリストも少ない中で、今回の支払先となったような海外の専門家にその役目を金銭的報酬を持って依頼するのは、ごく自然な選択とも言えるだろう。

スポーツが、「平和の祭典」「国際親善」「青少年の健全な活動」という枠を超えて、「ビジネス」の側面を大きく持ち始めたのは1970年代ころからと言われ、象徴的には1984年のロサンゼルス五輪が「スポーツがビジネス化、プロ化に向かった大きなきっかけ」と語られる。

今回問題のテーブルに上がっている電通は、1982年に世界のスポーツ・ビジネス界の実力者であるホルスト・ダスラーと共同で、ISLという会社をスイスに設立する。ダスラーは短期間のうちに、IOCFIFAだけでなく、IAAF(世界陸連)、UEFAの権利も得て、世界の主要スポーツ・ビジネスを手中に収めていく。電通の資金力、日本企業の経済力と世界マーケットへの進出意欲がそれを支えた
スポーツはこうして、〈純粋な競技への愛情と情熱を持つ熱心な元選手たちによって運営される分野〉から、〈大金を生み出すビッグ・ビジネスの素材となり、
スポンサー企業の広報宣伝を主な目的として、広告代理店がその中枢を担う分野〉に転換した。

 ルールとマナーを尊重し、スポーツマンシップを最重要視するのはスポーツマンの当たり前の感覚だが、広告代理店にそれを求めるのは筋違いなのだろう。スポーツ界は広告代理店に軒先を貸したつもりで母屋を取られた格好だ

 私がスポーツの取材を始めてまもないころ、1970年代の後半か80年前後のことだったと思う。

 「陸連には電通から出向している広告代理店の社員がいるんだ」

と聞かされ、戸惑った記憶がある。(純粋に競技の普及振興や公正な競技運営を主とすべき競技団体の中枢にお金儲けの人が入って影響力を行使している)

 その現実が、感覚的に融合しなかったのだ。いまとなってはマネジメントやプロモーションの発想が競技団体にも重要なこと、組織を運営し発展させるには資金も必要だと理解できるが、素朴な感想として、競技団体と広告代理店は水と油というのか、間違っても広告代理店に組織運営の根幹まで任せてはいけないだろうという青春時代の感覚はあながち間違ってはいないのではないか。

ひとつ強烈な記憶がある。

 私がトライアスロンの普及や選手のサポートに携わっていた頃の話だ。1980年代の終わり。ちょうどトライアスロンが日本でブームになり始めていたころ。縁あって、選手とともに電通のスポーツ・ビジネスの中核を担う人物とお会いした。スポーツ・ビジネス界に圧倒的な影響力を持ち、“天皇”の異名さえ持つ人だと紹介された。彼は、スポーツライターと記した私の名刺を一瞥して言った。

 「お前は、書き屋か」

 書き屋という言葉に初めて接したので、最初は意味がわからなかった。私がまだ30歳を越えたばかりの若輩者だったことを差し引いても、初対面でそのような侮蔑的な呼ばれ方をしたのはそれが後にも先にも一度きりの経験だ。彼は、やがて開催予定の宮古島トライアスロンに関して、持論を展開した。

 「スイムも長いんだから、海の途中にお汁粉か何か、温かいものを用意したら、選手は喜ぶだろう。そうしてやれよ! なあ、いいアイディアだろう」

選手とスタッフに胸をそらして同意を求めた。スタッフは「ははあ」と平伏したが、選手と私は呆然としていた。その場にいた選手で、スイムの途中でお汁粉を必要とする選手はひとりもいなかった。たとえ完走目的の参加者であっても、海上のエイド・ステーションにお汁粉を見つけて感激する選手がどれだけいるだろうか?

世界のスポーツ界を動かしていると言われる人物のスポーツ観、プロデュースの心根がその程度のものかと知って、深く失望したのを覚えている。

スポーツ界における広告代理店の繁殖ぶりは、広がる一方だ。電通博報堂に限らず、スポーツ・マネジメントを専門にする代理店も数多く誕生している。私も数社と仕事で関わった経験がある。すべてを否定するわけではないが、
その大半が、「スポーツはどうあるべきか」ではなく、
「大きなお金を動かすにはどうしたらよいか」が先にあり
スポーツの未来を語り合って熱く共感できる人は少ない。

 彼らの多くは、「お金が生み出せてメディアも関わって人気になれば、結果的にそのスポーツは繁栄する」という論理を前提にしている
 一方で、だから当然、「お金が生めそうもない競技には見向きもしない」
広告代理店に相手にしてもらえない競技団体は自らアイディアを生み出す方向でなく、なんとか広告代理店やスポンサーに声をかけてもらえるよう、オリンピック種目になるための努力に懸命になったりする。本末転倒の現象がスポーツ界を覆っている。

 早く、運営の主導権、未来像を持ってスポーツを活性化する中枢の座を、スポーツを本当に愛する専門家の手に委ねる必要がある。

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テレビでは電通の関与を隠して放送