遺伝子ドーピング


遺伝子ドーピング」に立ち向かう研究者の戦いはすでにはじまっている ──
遺伝子ドーピング」対「リキッドバイオプシー」の戦い ......


遺伝子ドーピング」に立ち向かう研究者の戦いはすでにはじまっている

2019年1月22日(火)15時00分
島田祥輔

遺伝子治療と同じ方法で、運動能力を高めようとする「遺伝子ドーピング」とは何か。そしてスポーツ界と研究者はどう立ち向かうのか>
スポーツ大会には常に「ドーピング」の問題がつきまとう。ドーピングとは、運動能力を高めるために選手が禁止薬物を使うことだ。しかし近年、薬物を使うのではなく、選手自身の遺伝子を書き換える「遺伝子ドーピング」という新たな問題が浮上している。遺伝子ドーピングとは何か。これまでとは全く異なるタイプのドーピングに、スポーツ界と研究者はどう立ち向かうのか。

遺伝子ドーピング遺伝子治療も原理は同じ

遺伝子ドーピングのもととなる技術は「ゲノム編集」だ。ゲノム編集を使えば、生物がもつ遺伝子を、非常に高い精度で書き換えることができる。農作物の品種改良から病気の治療まで、応用例は多岐にわたる。
その中の一つに、筋力が低下する難病「筋ジストロフィー」の治療がある。筋ジストロフィーのうち遺伝性の「デュシェンヌ型筋ジストロフィーDMD)」は、筋肉の細胞で骨格を保つ「ジストロフィン」というタンパク質が遺伝子の異常によってほとんど作れないために筋力が低下する。
DMD患者の体内で、原因となる遺伝子をゲノム編集で修復できれば、DMDを根本的に治療できると考えられている。2016年にはマウス、2018年にはイヌを用いて、体内でDMDの原因となる遺伝子の異常を修復できることにアメリカの研究チームが成功した(マウスの成果イヌの成果)。ヒトへの応用も、そう遠い未来ではないだろう。
このように、ゲノム編集を用いて体内の遺伝子を直接修復して病気を治療する方法は「遺伝子治療」と呼ばれている。
もし、これを患者ではなく、スポーツ選手に実施したらどうなるのだろう。もしかしたら、強靭な筋肉となり、競技に有利となるかもしれない。
遺伝子治療と同じ方法で、運動能力を高めようとするのが、遺伝子ドーピングだ。
誰もやったことがないため、本当に有利になるのか、あるいは健康被害はないのか、
現時点では誰にも想像できない。だが、患者への遺伝子治療が有効だとわかってきたら、試そうとする選手(あるいはチームや国)が出てくることは否定できない。
医薬品が薬物ドーピングに使われるようになった歴史を、遺伝子治療も繰り返してしまうのか。

スポーツ界による規制と、研究者による技術開発


スポーツ界と研究者は、遺伝子ドーピングにどう立ち向かうのか。
スポーツ界では、世界アンチ・ドーピング機構が2018年に、ゲノム編集を使ったドーピングを禁止事項に追加した。日本語版(PDF)の9ページにある「ゲノム配列の変更および/又は遺伝子発現の転写制御、転写後制御、又はエピジェネティック制御の変更を目的に設計された遺伝子編集用物質の使用」が新しく追加された項目で、体内でゲノム編集することを禁じた文言だ。
問題は、検出方法だ。薬物ドーピングに使われる薬物は人工的につくられたもので、人体がつくるものとはわずかに異なる特徴を利用して、ドーピングかどうか判断する。しかし、遺伝子ドーピングでつくられるタンパク質(例えばジストロフィン)は、自然につくられるものと変わらず、おそらく区別できない。

研究者は、遺伝子ドーピングを検出しようと技術開発を進めている。考えられているのが、血中に含まれているDNA断片を調べる方法だ。
細胞は寿命を迎えて壊れると、DNAが断片化してしばらく血中に残る。そして、遺伝子ドーピングで遺伝子が変わる細胞は、体の全てではなくごく一部に限られる。例えば、「ジストロフィンをつくる遺伝子のDNA断片」が血中から2種類見つかれば、遺伝子ドーピングした可能性があると見なすことができるだろう。
この方法は「リキッドバイオプシー」と呼ばれているもので、遺伝子が変化して生じるがんを採血で診断する技術として、世界中で研究が進んでいる。
遺伝子ドーピング」対「リキッドバイオプシー」の戦いはすでに始まっている。